JJ(爺)の海外個人旅行記

英語力もスマホ術も不安な70歳超えの爺。それでも海外個人旅行は人生を楽しく、豊かにしてくれます。そんな実体験を綴っています。

はじめまして

 

はじめまして。70歳超えのJJ(ジージ)です。よろしく。

特にシニアの方で海外個人旅行をしたいと思っている人に読んで頂けたら嬉しいです。若い世代(特にZ世代)の方々にも参考になれば、尚更ハッピーです。

  • 海外旅行に行きたいけど、団体旅行はどうも若い向け人のようで、移動が多く、ゆっくりしていない。
  • シニア向けの団体旅行もあるが、観光地、食事もセットされており、自分で考えることはほとんどなさそうだ。また、ホテルも飛行機もハイクラスで費用も高い。
  • かといって、個人旅行を企画するのは、面倒だし、不安だし、費用も含めて良く判らない。
  • こんな方で、自由度が高く、ワクワク感のある海外個人旅行を、楽に、またリーズナブルに計画、実行したいと考えておられる方

そんな方に、海外赴任経験もなく、英語力もスマホ術も不安な70歳超えのJJ(ジージ=爺)の海外個人旅行記(旅行準備内容や現地でのトラブル、感動など)を、ゆったりと発信していきたいと思います。

 

読んで頂く中で、個人の海外旅行は歳をとっても可能だし、その結果として、気力や体力も活性化され、なんだか人生、豊かで楽しくなりそうだなあ~ とそんな気分になって頂ければ幸いです。


なぜ海外個人旅行なの?

最大の理由は、定年退職直後に計画していたヨルダンへの団体旅行が、直前になって催行中止となり、急遽他社で個人旅行の手配をして、なんとか当初のスケジュールで行くことができ、この時の経験がやはり海外個人旅行は楽しいと思ったことが一番の理由です。

 

海外個人旅行でしたので、言葉も通じにくく、また、自由行動時や飛行機乗り換え時等に小さなトラブルもありましたが、それにも増して、現地案内人の方とお互いカタコトの日本語/英語で話が弾み、また、計画変更等の要望にも適宜対応して頂き(例えば観光コースにない路地裏に案内してもらい現地の生活実態を垣間見たりして)、有名観光地の思い出より、むしろ多少のトラブルや計画外の行程が、旅行後強く印象に残りました。

 

国内個人旅行でも、楽しみは同じでしょう。ただ違うのは、旅行先で言葉が通じ、トラブル時等での日本人としての行動や反応はほぼ予想がつきます。風景も旅館の食事も似たり寄ったりと、海外旅行に比べて苦労や感動がやや少ない様に思います。多少の骨折りやそれなりの刺激があった方が、旅はより面白く、前頭葉の活性化には良いのではないでしょうか。

 

団体旅行と違い、個人旅行というと若者の「バックパッカー」の様な、あるいは「自分で飛行機からホテルまで予約する必要がある」というようなイメージをされる方も多いかと思いますが、JJはそんな面倒なことは基本的にしません。

 

このブログで、まずは「海外個人旅行は、そんなに難しい旅ではなく、歳をとっても行けそうだ。何とかなりそうだ。なんだか楽しそうだなあ~」そんなこと思っていただけたら嬉しいです。

個人旅行が楽しいと思ったヨルダン(ペトラ遺跡

シニアの海外個人旅行は一石二鳥?

老後を迎えると、一般的に気力がなくなり体力も衰えます。持病を抱えている人も多く、資産の目減りが気にかかり、理由が自分でも判らないままイライラすることもあります。

 

JJも、大学卒業後、同じ会社で約50年間働いてきましたが、70歳で全く仕事から離れると、「これ」と言った趣味もなく、時間を持て余し、老化の一般的症状にプラスして、気持ちも大いに落ち込んでしまいました。

 

そんな時、これからの人生に向けての本を読んだり、友達の話を聞いたり、残りの人生でやってみたいことを少し考えたりしました。

 

結果、「これからは好きなことをして、その副次効果として気力や体力の維持につながれば一石二鳥ではなかろうか。楽しみも二倍に増えるかもね」と思う様になりました。

 

JJにとっての“一石”、それは「海外個人旅行」でした。”二鳥”は取ってつけた感はありますが、「気力:脳機能の活性化」と「体力:身体機能の活性化」です。これらをまとめて「脳体機能の活性化」と呼ぶことにしました。

 

個人旅行ですと、それなりの下調べや手配(旅行会社との遣り取り)も必要です。現地では身振り手振りでの表現力(意思伝達力)もいります。病気やトラブル発生時、アクションを取らないと何も進みません。また、終日観光ともなればよく歩きます。これらは、すべて脳体機能の活性化に良いのではないかと思います。

 

また、ブログをやってみようと思ったのも、「情報受信」より「情報発信」の方が、遥かに前頭葉を使うと書いてある本を読んだからです。

 

若い世代(特にZ世代)の方に

少し横道にそれますが、日経新聞の2024年9月17日の朝刊に「日本人は旅行をやめたのか」という特集があり、そのなかでのアンケート結果として「Z世代の57.3%は海外に行きたいと思わない」との記載がありました。

 

JJは約50年前の大学時代、アルバイト代と親にムリクリ頼んで出してもらったお金で、ヨーロッパ旅行に行きました。どうしても、普通のサラリーマンになる前に、海外をこの目で見て、肌で感じてみたかったのです。この鮮烈な記憶は今でも残っています。

約50年前(JJの学生時代)の海外旅行集合写真

Z世代は、生まれた時から、インターネットやスマホがあり、情報収集や海外でのコミニケションにも困らず、それほど個人旅行のハードルも高くないと思います。このグローバルな時代、海外を直に感じることは、必ずや、これからの人生にとって有用だと思いますので、是非海外に飛び出してみて下さい。英語力、スマホ術も不安な70歳超えのJJでもトライし、都度新鮮な刺激を受けていますので。

 

今後、旅行前の準備、旅行中のトラブルや感動、具体的なトライ例等をゆっくりと投稿していく予定です。ブログ自体初めてで、悪戦苦闘中という状況ですし、内容も「JJの人生後半の旅路の記録」的なところがありますが、どうぞよろしくお願いいたします。

 

なお、この「はじめまして」投稿以降、2025年5月20日までに記事とした訪問国に関しては、一覧を下記に載せていますので、宜しければ参照下さい。

 

jj-travel.hateblo.jp

 

 

最後まで読んで頂きありがとうございます。

ではまた。

 

メキシコ、エジプト、インドネシアのピラミッド(その1)

メキシコのテオティワカン遺跡の「月のピラミッド」「太陽のピラミッド」を訪問した過去ブログで、ピラミッドと呼ばれる石やレンガでつくられた四角錐の建造物は、世界各国にあると書きました。

 

世界三大ピラミッドと言えば、エジプトのギザ砂漠にある3基のピラミッドを指すようですが、その他の国では、メキシコのテオティワカン遺跡にあるピラミッド、更にインドネシアの仏教遺跡である「ブロブドール」が規模大きく、これらのピラミッドに関して普遍性と地域性に関して、少し調べてみました。

 

残念ながらJJはエジプトには行ったことがありません。一方、メキシコとインドネシアに関しては見てきましたので、これらを比較してみたいと思ったことも、この記事を書く動機になりました。

 

各ピラミッドの感じ

まず、この三つがどんな感じなのか写真で見てみましょう。

メキシコ:テオティワカン遺跡 太陽のピラミッド

エジプト:ギザのピラミッド(3基)

インドネシアブロブドール遺跡のピラミッド

メキシコとエジプトはピラミッド感がありますが、インドネシアは本当にピラミッドなの?というような感じです。下の写真にあるように、ミャンマーで多く見られる「パゴダ(仏塔)」を大型化したようなイメージですね。

ミャンマー:バカン遺跡(仏教遺跡)のパゴダ(仏塔)の例

写真では分かり難いかも知れませんが、形状はいずれも石やレンガで積み上げたられた四角錐です。ピラミッドの定義からすると間違いありません。

 

ただ、メキシコは頂上に登るための階段が設けられています。エジプトにはそれがありません。また、インドネシアは、ピラミッドの周りに回廊がついており、これも頂上まで登れる設計となっています。

 

世界には、変わり者が設計した三角錐のピラミッドもあって良そうな気がしますが、四角錐という普遍性は ①構造的に安定していること ②三角錐に比べ、内部空間や頂上部での儀式の面積が確保しやすいこと ③東西南北を正確に指し示すことができること 等があったのではないかと思われます。考えることは世界共通ということでしょうか。

 

各ピラミッドの建設地

ピラミッドの建設地に関しては、インドネシアのボロブドゥール遺跡だけが、緑に囲まれた台地にあるような感じを受けますが、どのピラミッドも建設当時は、人々の居住区と近い緑豊かな土地に建てられたようです。

 

各ピラミッドの建設地をプロットしてみたのが下図です。

エジプトとメキシコのピラミッドは北回帰線に近い緯度、インドネシアのそれは赤道近くに位置しています。

各ピラミッドの建設地

ピラミッドの建設目的は色々ですが、エジプトやメキシコのピラミッドに関しては、天文学と関連し、太陽や星の動きと連動した配置や構造となっているとも言われています。

 

北回帰線上にあると、夏至の日(6月21日頃)には、太陽が真東から昇り、真上を通り、真西に沈みます。正午には太陽が真上(天頂)を通過しますので、地面に立つと、影がほぼ消える現象が起こります。

 

ピラミッドの1面(例えば東面)が真東に向いて建設されていると、夏至の日には、そこから日が昇ってくる様に見え、正午には影も消えますので、こんな点も、何か儀式等を執り行うにあたっては象徴的な日として関連づけられたのかも知れません。

 

ただ、ここまで書いてメキシコの「太陽のピラミッド」では、夏至の日に太陽がピラミッドの正面に本当に沈むのか?と疑問に思い(その様に書いた旅行案内書もあり)調べてみましたが、実際は真西ではなく、やや北西方向を向いて建設されており、ピラミッドの正面に太陽が沈む日は、8月13日と4月30日で、これは、テオティワカンの設計者たちが暦や儀式の周期に合わせて都市全体の方位を調整した結果ではないかとのことでした。

 

過去ブログで「太陽のピラミッド」が真西に向いて建っている様な図を書いていますが、正確には、大通り(死者の道)を含めて、時計回りに15.25度回転しています。これに従い「太陽のピラミッド」の正面も真西でなく、やや北西方向を向いていることになります。

 

各ピラミッドのイメージ図

これらの形状を、イメージ図的に表現したのが下図です(生成AIに描いてもらいました)。左から、メキシコ、エジプト、インドネシアです。

各ピラミッドのイメージ図

今回はここまでとし、もう少し詳しい比較は、(その2)で

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

ではまた。

 

jj-travel.hateblo.jp

 

メキシコ:テオティワカン遺跡のピラミッド

ピラミッドと言えば「エジプトにある巨大なお墓のこと」と思っていましたが、その定義は「石やレンガでつくられた四角錐の建造物のこと」を言うようで、世界各国にあるようです。

 

メキシコにも沢山のピラミッドがあり、JJは、2024年春にメキシコシティ近くのテオティワカン遺跡に行きました。この遺跡の中だけでも、「太陽のピラミッド」「月のピラミッド」が現存しています。

テオティワカン遺跡

この都市は、紀元前後から栄え、紀元600年頃に突如、衰退し滅亡しました。ただ誰が(どんな民族)が造ったかは、今もってよく分っていない様です。テオティワカンとは、12世紀頃に、この壮大な遺跡を発見したアステカ人が名付けたもので、「テオ(神々)ティ(集う)ワカン(都市)」という意味だそうです。

 

メキシコシティから北東に約60kmの位置にあり、その広さは南北のメイン通り(死者の道)で、約3,300mもあります。各ピラミッドの概略の配置図は下図の通りで、死者の通りの突き当りに「月のピラミッド:高さ約47m、底辺140×150m」が、その途中に「太陽のピラミッド:高さ約65m、底辺222×225m」があります。

 

「太陽のピラミッド」は、20~22階建ての建物に相当する高さですが、図の下側にある「ケツアルコアトルの神殿」付近からみて、道路右側にかすかに見える程度です。「月のピラミッド」は、その先の突き当りにありますが、肉眼ではどこ? という程度の大きさにしか見えず、この都市の大きさがうかがえます。

テオティワカン遺跡の配置図

月のピラミッド側からみた死者の道

ケツアルコアトル

JJ達は、まず「ケツアルコアトル(羽毛の生えた蛇)の神殿」を見学しました。地を這う蛇の神秘性と、空を飛ぶ鳥のイメージを組み合わせたもので、生命や自然の力を象徴しているとのこと。昔の人も創造性豊かですね。この精巧なレプリカが「国立人類学博物館」にあります(下写真)。蛇の口は、人間が一口で飲まれこまれそうな大きさです。

ケツアルコアトル

国立人類学博物館に展示されているケツアルコアトルのレプリカ

月のピラミッド、太陽のピラミッド

その後、「月のピラミッド」「太陽のピラミッド」を見学。

月のピラミッド

太陽のピラミッド

これらの建設目的については、いくつかの説があるようで、㋑宗教的・儀式的な目的 ㋺王墓としての目的 ㋩権力の象徴などです。ただ、建設目的が一つに限定されるものではなく、複数の目的が組み合わさっていた可能性もあるとの事ですが、JJは特に㋑宗教的・儀式的な目的に使われていたのではないかと強く感じました。

 

アステカ文明マヤ文明では、生贄を捧げる行為が重要な役割を果たしていたとされているだけでなく、翌日「国立人類学博物館」を訪ねた際、そこに生贄の心臓をささげるための像(台)が沢山展示されていたからです。なお、この展示物は、テオティワカン遺跡のピラミッドの遺跡から発見されたものでなく、ユカタン半島にあるチェチェン・イツァ遺跡のピラミッド等にあったものです。

 

映画「インディジョーンズ」第二作「魔宮の伝説」は、インドの山奥の宮殿での話ですが、その地下で、邪教の密儀が行われており、呪文を用いて人間の心臓をえぐり出すシーンがありますが、これとよく似た儀式が行われていたという可能性があるのではないでしょうか。

国立人類学博物館に展示されていた生贄を捧げるための像(台)

これら二つのピラミッドに関して、確かにその大きさに感嘆しました。ただ、エジプトのピラミッドの先入観が強すぎるのでしょうか(テレビ等で観た事しかないのですが)、これに比べて、洗練さや緻密さはあまり感じず、全体的に素朴で、粗削り的で、ゆったりとしているような、そんな印象を受けました。それに比べ、使用目的に関しては、ぞくぞくした恐ろしさを強く感じました。

 

昔は、これらのピラミッドに登れたそうですが、現在はできません。出来たとしても、暑いし、足腰の弱さを考えると、登ろうという気になるかどうか甚だ疑問ですが・・・。見学を終えて、すぐに近くのレストランで喉を潤しました。このビールが美味しかったこと。

 

最後まで読んで頂きありがとうございます。

なお、ピラミッドの話は、次回に続きます。

ではまた。

メキシコ:空港とホテル間の移動でトラブル

メキシコシティ空港からホテルへの移動

2024年春の話です。日本からメキシコに飛んだ到着1日目、メキシコシティ空港から市内のホテルへの移動は、空港専用タクシーを利用しました。これは流しのタクシー(客引きをしているタクシー)と比べ、多少割高になりますが、乗車前に運賃がきまり、比較的安全だと言われています。

 

この空港では、空港専用タクシー業者は数社あり、この中でどれを選んだら良いのだろうかと思い、事前にNETで評判や料金等を調べて、JJの頭の中では、写真の「黄色の看板を掲げている会社が良さそうだ」とあらかじめ目星をつけておりました。

メキシコシティ空港の「空港専用タクシー」のカウンターでの交渉

当日、到着ロビーから出て、上記の「黄色の看板のタクシー業者(Sitio300)」のカウンターで行先を伝えると、当方が予想していた料金の3倍程度(880メキシコペソ)が提示されました。間違いではなかろうかと思い、再度確認しましたがこの料金とのこと。

それは無いだろうと思い、隣の別会社のカウンターで料金を聞くと、ほぼNET情報と同額の310メキシコペソでした。ここでチケットを購入し、全く問題なく市内のホテルに着きました。

 

現在は、NETで調べれば、大方の情報は得られます。しかし、この情報が正しいかどうかは判りません。正しい情報もありますし、間違った情報もあります。更にたまたまそうだったという情報もあります。このあたりNET情報を鵜呑みにしてもダメですし、多面的にチェックしておくことが重要だなあ~と到着早々考えせられました。

 

カンクン空港とホテル間の移動

次は、旅行6日目のカンクン空港での話です。この空港にも、空港専用タクシーはあるようですが、今回は全体の計画を組んで頂いたツアー会社の(株)エスティワールド(STW)に頼んで、OPツアーとして空港とホテル間の往復分を事前購入しました。

カンクン空港の出迎えは、多くの人でごった返し

JJは、「STW」に依頼したのですが、「STW」は、現地ツアーやアクティビティ予約を得意とする「VELTRA」に発注していました。しかしこの「VELTRA」も催行事業者ではなく、催行事業者は「ミキラテンアメリカツアー」という会社です。更に実際に車を出す運行事業者は「Otium」というところです。

 

当方からすると「JJ→①STW(二次販売会社)→②VELTRA(一次販売会社)→③ミキラテンアメリカツアー(催行事業者)→④Otium(運行事業者)」という階層となり、どこの会社が出迎え用のプラカードを掲げているのか、分かり難いなあ~とは、事前に感じてはいました。

 

どこの空港でもそうですが、空港での出迎え場所は、非常に多くの業者が入り乱れ、ごった返しています。一般的には、販売会社(あるいは催行事業者)の会社名か、JJの苗字(カタカナかローマ字)を書いたプラカード等を掲げて待っておられることが多いのですが、今回は、当たりを見回しても、それらしきものが見つかりません。

 

不安が的中したようで、地元の催行事業者である「ミキラテンアメリカツアーは何処?」と周囲の方々にあれこれと聞き廻り、やっと合流することが出来たというような状況でした。

 

「STW」や「VELTRA」という日本の販売会社名を出しても判らないだろうと思ったからです。この判断が正しかったかどうかは分かりませんが、兎に角、どこのプラカードもなにも持っていなく、これでは当方が判るはずがありません。「いい加減というか、あやしい催行事業者だなあ」とは、この時、感じました。

 

更にこの不安が的中し、帰国時(9日目)のホテルへの迎えの時間に関しては、2日前の案内になるとバウチャーには記載されていましたが、やはり連絡が来ません。こちらから電話をしても電話口に出てこられず、結果的にホテル(ハイアット・ジラーラ・カンクン)のコンシェルジェの方に依頼して、何度か連絡をとってもらいやっと時間を聞き出していただくことができたというような状況でした。ホテルコンシェルジュの方には、大変お世話になりありがとうございました。

 

残念ながら、当方として、この催行事業者に良いイメージは全くありません。また、こんな催行事業者に業務を委託した「VELTA」や、この商品を販売した「STW」にも、少しイライラしました。当方としても、どんな看板を出して出迎えてくれるのか等も確認していませんでしたので、このあたり今後は気を付ける必要があります。

 

最近ホテルの予約サイトに関して、トラブル例が多いとの記事も出ていますが、OPツアーに関しても同じようなことがあると思われます。

 

できれば、販売会社と催行業者が同じ会社ですと、何かあった時、連絡も取りやすいでしょう。例えばHISは販売会社であり催行事業者となっている海外OPツアーも多くあり、多少割高ですが、安心をお金で買うのであれば、こういうところのツアーを申し込む方が良いのかも知れません。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

ではまた。

 

ミャンマー:市場(いちば)めぐり。整然と混沌

最近、海外に出かけた時、その土地の市場(いちば)散策が、お決まりのルートとなっています。雰囲気、商品、価格などを見ることによって、その国の文化や経済力を身近に感じることが出来るような気がします。

 

今回は2019年に訪れたミャンマーの二カ所の市場、①首都ヤンゴンのアウンサン市場と②仏教遺跡で有名なバガンのニャウンウー市場に関して、思い出を綴ってみました。

ヤンゴン:アウンサン市場

市の中心部にあり、屋根付きの立派な建物の中にお店があります。JJが想像していたよりはるかに奇麗で、生鮮食料品はありませんが、宝石、衣類、伝統工芸品、民族衣装、少数民族製品等をメインとした約1800店が入っています。

 

JJは、東南アジアにある市場はもっとゴチャゴチャした感じで、通路が狭く、露店が密集し、独特な臭いが漂い、多くの人が買い物をしている という先入観がありましたが、ここは少し違い全体的に整然としています。

 

何が他と違うのだろうと気にかかり、少し調べましたら、この建物は、英領時代に「スコット市場」として建設され、イギリス人官僚や軍人、商人たちのための商業施設として機能していたとのこと。その後ミャンマービルマ)が独立し、「アウンサン・モール」という名称に変更され、更に現在では「アウンサン市場」と呼ばれるようになった様です。

 

それで、ここは、天井も高く、メイン通路は広く、格子状に配されたサブ通路にお店が奇麗に配置されており、スッキリとした感じとなっているのではないかと思われました。更に生鮮食料品が無い点も、生臭さを感じさせない要因の一つではないでしょうか。

ヤンゴンのアウンサン市場

ここで、妻は日本語で会話が可能な「はりこ」というお店で、ミャンマーの伝統衣装であるロンジーとブラウス(上下セット)を絹地で作ってもらいました。特急仕上げで、約2時間程度で出来上がり、値段は生地代と仕立て代を合わせて、38,000K(日本円で約2,700円)でした。

 

また、少数民族の雑貨を扱っている「チャイントン」という店で、クッションカバー等を購入しました。刺繍の図柄が面白く、愛用しています。

話が少し横にそれますが、当時、この建物に隣接して、事務所、コンドミニアム、商業施設等で構成される複合施設「ヨマ・セントラルプロジェクト」の工事を大手建設会社のT建設(株)さんも参画されて実施されていましたが、軍事クーデター後どうなったのでしょうか。会社勤め時代、T建設(株)さんには大変お世話になった時期があり、これを書きながら思い出しました。

 

ガン:ニャウンウー市場

バガンヤンゴンから飛行機で1.5時間程度かかります。世界三大仏教遺跡の一つとして有名で、JJが訪問した年にユネスコ世界文化遺産に登録されました。

当初、ここバガンの市場に行く予定ではなかったのですが、飛行機を降りたって直ぐに、OPツアーの現地案内人に頼んでこの市場に向かいました。ビーチサンダルを購入するために。

 

少し話が前後しますが、ミャンマーでは、パゴダ(仏塔)や寺院の境内は土足厳禁で裸足となる(靴、靴下を脱ぐ)ことが必要です。

 

ここに来る前日は、ヤンゴン市内のパゴダ見学等をしたのですが、スニーカーに靴下を履いていたため、都度これらを脱いだり履いたりと非常に面倒でした。また、足裏も汚れ、このまま靴下やスニーカーを履くことも少し気持ち悪く、バガンに行くときはビーチサンダルを持参しようと考えました。いつもビーチサンダルは旅行用品に入れているのですが、ミャンマーでは海で泳ぐこともなさそうなので、この時に限り家に置いてきたのです。

 

そこで、前日にMINISO(メイソウ:ロゴがユニクロ無印良品ダイソーに良く似ている店)でビーチサンダルを購入したのですが、これをヤンゴンの飛行場で手荷物検査後に引き取るのを忘れてしまったのです。一度も使っていませんが、また新しい物を買わざるを得ません。そのため現地案内人にお願いし、ニャウンウー市場にまず行くことになったのです。

 

この市場は写真の様に、生鮮食料品が主で、ビーチサンダルなどとてもではありませんが、売っている様な気がしませんでした。建物内(場内)に店もありましたが、ほとんどが場外で、テントを張って露天での商売です。

バガンのニャウンウー市場

この川魚は何(こい? 鮒?)、どうやって料理するの。煮物ではなさそうだし、ハーブや香辛料で味付けして蒸し焼き、それとも揚げ物にして食べる? こんな暑いところに置いたままにして腐らないの?

 

この葉っぱ何? 噛み煙草用の葉? どうやって使うの? 良く判らないなあ~などなど疑問だらけですが、案内人は入り組んで、しかもぬかるんだ道を迷うことなく、ずんずんと市場の中に入っていき、ビーチサンダルばかり揃えている店につれてきてくれました。

 

こんなお店もあるのだ~と感激しました。ここで、妻とJJのサンダルを購入しました。なかなか頑丈で、いまでも活用しています。

ニャウンウー市場で購入したビーチサンダル

前掲のアウンサン市場は生鮮食料品を置いていませんでしたが、ここバガンのニャウンウー市場、は、露天が多く、生鮮食料品から衣類、雑貨となんでもありました。まさしく、JJが描いている様な混沌とした市場でした。

 

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同じミャンマー内でも、ヤンゴンは整然とした高級市場、バガンは混沌とした庶民市場のような雰囲気でした。更にビーチサンダルを必要に駆られて購入したという思いで深い市場巡りとなりました。

 

また、別の国でも市場巡りはしてみたいと思います。

 

最後まで読んで頂きありがとうございます。

ではまた

 

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メキシコ:メキシコシティでの日本料理とウルグアイ料理

今回は、滞在2日目の日本料理と、3日目のウルグアイ料理です。

滞在1日目に尋ねた下図のメキシコ料理とイタリアンに関しては、既にブログに載せましたので、宜しければ、最下段のリンク先をご覧ください。

ホテル(シェラトン・マリア・イザベル)近くのレストラン

2日目 夕食 KOKU(日本料理)

メキシコ滞在2日目にして、早々に日本料理店を探しました。

以前ベトナム旅行において「歳をとると食事に飽きやすくなるのかなあ~」と記事を書いていますが、飽きやすくなったと感じたのは、ベトナムよりメキシコの方が先です。

1日目と2日目の昼食がいずれもメキシコ料理で、兎に角、トウモロコシ(トルテーア)以外の物を口にしたくなり、中でも日本料理が食べたくなりました。

 

前日にリオレルマ通りをウロウロした折「日本料理店ならあの辺りにあったな」という記憶をもとに、「KOKU」という店に入りました。失礼ながら余り味は期待していませんでしたが、店名が「コク」というくらいあって、出汁も効いていて料理は本当に美味しかったです。

 

まずはいつもながら「ビール」を注文しました。ビールと言えば、この「Modelo Especial(モデロ・エスペシャル)」。昨日の昼も、今日の昼も、また今回も出てきました。これまでメキシコと言えば「コロナビール」くらいしか聞いたことがありませんでしたが、それに比べると、コクも苦味もあり、キリンのラガービールをややドライぽくした感じでもあり(どんな味か表現が難しいのですが・・・)、兎に角、乾いた喉にはとても美味しいビールでした。

メキシコのビールといえば、このModelo Especial?

店内の壁には写真のような電光掲示板もありました。個人名が気になり、帰国後NETで調べると、この店の総料理長のお名前のようでした。それで、料理がおいしい理由がわかりました。

日本料理店の店内の電光掲示

スタッフの方々も皆さん陽気で、おそろいのTシャツも洒落ており、貰って帰りたいくらいでした。

日本料理店の店員さんのTシャツ

お腹も心も満たされ、その日はホテルに帰りぐっすりと休みました。

ところが、次の朝、スマホの自撮り棒の手元スイッチがありません。昨夜、日本料理店ではそれを使用したので、そこに忘れたか、途中で落としたかしか考えられません。下の写真の「自撮り棒手元スイッチ」と示している部品です。個人旅行ですので、2人が写っている写真を撮ろうとすると、都度、誰かに頼むのも大変で、どうしてもこのスイッチが必要なのです。

兎に角、店に行って問い合わせてみようと、朝10時頃に尋ね、掃除をされている方(委託業者の方?)に確認しましたが、そんなものは無かったとのこと。ウム残念!

 

しかし、店員の方なら判るかもしれないと思い、一旦、市内観光(人類学博物館等)に出かけ、夕方改めて訪問しました。事情を説明すると、「これかい?」と、カウンターの端においてある缶の中から、持ってきて下さいました。

 

「仮に店に置き忘れたとしても、出てこないだろうな・・・・あったとしても、ゴミとして捨てられいるだろうなあ・・・」と思っていましたので、これには驚きました。日本料理店らしいおもてなしなのかも知れません。本当にありがとうございました。

 

3日目 夕食 Don Asado(ウルグアイ料理)

中米のメキシコ料理にも飽き、南米料理でも食してみようかと思い、飛び込みましたが、QRコードのメニュ読み取りに手を焼きました(お手上げ状態でした)。料理の味は、メキシコとどう違うのか、正直言ってよくわかりませんでした。

 

なお、この店のメニューや料理内容に関しては、過去ブログに「メキシコ:食事メニューはQRコード。読み込んでも現地語不明」としてやや詳しく書いていますので、よろしければそちらをご覧ください。

ウルグアイ料理店(まずは、テキーラを一杯)

メキシコシティの2日目と3日目の夕食は、メキシコ料理でなく、日本食料理とウルグアイ料理を頂きました。特に、「KOKU(こく)」という日本料理店は、味良し、おもてなし良し のお店ですので、機会があれば、是非立ち寄ってみて下さい。

 

最後まで読んで頂きありがとうございます。

ではまた。

 

jj-travel.hateblo.jp

 

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メキシコ:メキシコシティでのメキシコ料理とイタリア料理

2024年春、メキシコシティに3泊し、ホテル近くのレストランで昼食や夕食をとることが多く、今回は、この紹介をさせていただきます。

 

下図の様に、宿泊先はリフォルマ通り/独立記念塔近くの「シェラトン・マリア・イザベル」でした。このホテルの印象は、過去ブログに書いていますので、よろしければそちらをご覧ください(最下段にリンク先を貼り付けています)。

 

個人旅行なので、夕食は自分たちで調達する必要がありますが、70歳も過ぎ、手間も考えると、なるべくホテル近くで済ませたいとの思いが強くなります。幸い、ホテルの裏側に位置するリオレルマ通りに、いろいろなレストランがありましたので、この辺りをウロウロして、店を探しました。

ホテル(シェラトン・マリア・イザベル)近くのレストラン

3日間の昼食、夕食の内容は下記の通りです。昼夜で計4回分を図示したお店で済ませたことになりますが、ここでは、1日目の昼食「El Mexicano Restaurante y Mezcalería(メキシコ料理)」と夕食「Attenti(イタリア料理)」での印象を書きとどめました。

 

1日目:昼食 El Mexicano Restaurante y Mezcalería(メキシコ料理)

    夕食 Attenti(イタリア料理)

2泊目:昼食 OPツアーで組み込まれていたレストラン(メキシコ料理)

       夕食 KOKU(日本料理)

3日目:昼食 市内フリー観光の途中で寄ったマクドナルド

    夕食 Don Asado(ウルグアイ料理)

 

1日目 昼食 El Mexicano Restaurante y Mezcalería(メキシコ料理)

成田からの直行便で約13時間のフライトにも疲れ、空港では、NETで安心だと載っていたチケット制のタクシー会社(黄色の看板文字の会社)に運賃をぽっくられそうになりながらも、あらかじめ運賃を調べておいたので、これはおかしいと思い、別の会社と交渉し、事無きを得、やっとホテルに昼の12時頃に着き、とりあえず荷物を預かってもらい、昼食に出かけました。

 

美味しそうな店を探すというより、近場でまずはメキシコ料理店であればどこでも良いのでは? ということで、雰囲気がいかにもメキシコらしい「El Mexicano Restaurante y Mezcalería」という店のテラス席に腰を下ろしました。道路に面したテーブルは開放的で椅子もメキシコらしく。昼間ですが、外は暑いと言うより、乾燥して少し肌寒いくらいでした。

メキシコ料理店(El Mexicano)

着席早速、店員さんから「スパニッシュ or イングリッシュ」と言われ、何のことやらとおもっていましたら、「メニューはスペイン語版か英語版か?」とのこと。もちろん英語版ですが、これを見ても良くは分からず、まずはいつもながら「ビアー」として、喉を潤しました。

料理より寧ろ、脚つきの黒くて無骨な食器が気になる

頼んだ料理は写真の通りで、名称不詳のタコスとアボカドのサラダ。これに付け合わせ(ライム、アボカド入りサルサ、トマトベースのサルサ)。ここで料理の記憶は余りありませんが(美味しかったのだと思いますが)、寧ろ気になったのは付け合わせ等を入れてある黒い無骨な食器に「3本脚」がついていたこと(写真中央にある五つの黒い小鉢)。

 

結局、後日、民芸品市場に行った折、この脚付きの(これに拘った)カラフルな小皿を自宅の土産として買って帰りました。ただ、この食器、自宅でどんな料理を盛っても、料理は全く映えません。日本の久谷焼きも結構、色鮮やかな小皿がありますが、これとは何故だか違いますね。

民芸品市場で購入した脚付きのカラフルな食器

食事をしていると、流しの音楽グループが、JJ達のテーブルにも来て、これもまた、いかにもメキシコらしい音楽を奏ででくれました。メキシコの伝統的な楽団「マリアッチ」とは程遠いとは思いますが、もちろんチップは払いました。

 

到着早々、疲れた体に心地よく、メキシコらしい食事や食器や音楽を味わえて、これはこれで良かったと思います。

 

1日目 夕食 Attenti(イタリア料理)

昼にメキシコ料理を食べ、どうも夜も連荘でメキシコ料理を食べる気にはなれず、イタリアンにでもしようかという事で、これもホテルから直ぐ近くのAttentiという店に入りました。

 

ビールは止めて、白ワイン、赤ワインにしました。それぞれグラスワインでお願いすると、写真の様に日本酒の徳利のような瓶に入ったワインを持ってこられ、「ワイングラスには自分で注いでお飲み下さい」ということの様でした。これなら量も定量で、合理的だなあ~と感心してしまいました。

いつも思いますが、どうして海外で頂くワインは安くて美味しいのか不思議です。

徳利のような瓶で提供されたグラスワイン

ここの料理の味もよく覚えていませんが、美味しかったのだと思います。JJは、日本でもまずければ、「この店には二度と行かない」と、料理内容を記憶していますが、普通に美味しければ余り記憶に残らず・・・(すみません食レポにはまったくならず)。

 

ただ、注文して出てきた料理を見て「だれがこれだけのピザ、イカリング、パスタを食べるの?」というくらいの量があり、残ったピザは持ち帰り用として、お店の方で、紙の箱に入れて下さいました(ありがとうございました)。

 

最近、海外で食事をしていてこれも良く思う事ですが、「量少な!」と思ったことはまずありません。単に歳をとって食べる量が減っただけかもしれませんが・・・

このピザ等、だれがこれだけ食べるの?

まず第1日目、昼はビールとメキシコらしい料理と雰囲気を味わい、夜はワインと量多めのイタリア料理を頂きました。まあまあ無難な食事内容でした。2日目以降は、近々投稿しますね。

 

最後まで読んで頂きありがとうございます。

ではまた。

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メキシコと日本(石見銀山):銀の道を辿って

過去記事「メキシコ:コロニアル都市と銀の道(その1)(その2)」で紹介しましたメキシコ中央高原のサンミゲルデ・デ・アジェンデ、グアナファト、ケレタロは、いずれもスペイン植民地時代に銀の採掘や輸送中継地として発展してきたという点で共通しています。

 

ところで、当時採掘された銀をスペイン人はどこに運び、なにに使用したのでしょうか? また日本にも石見銀山世界遺産に登録されていますが、これはどうなのでしょうか? 

 

「当時、銀が貨幣として使用されていたのだろう」程度はぼんやりとは思っていましたが、具体的にどんな物の支払いに使用されたのかが気になり、それぞれの銀の道を少し探ってみました。

 

いつ頃栄えたの

下表はメキシコ(グアナファト)と日本(石見銀山)の、採掘時期を比較したものです。なお、メキシコの宗主国である「スペイン」と、当時は「中国」抜きでは銀の流通ルートは語れないようですので、「中国」も表に入れています。

 

グアナファト銀山は、16世紀半ばに採掘が始まり、最盛期は18世紀だと言われています。一方、石見銀山も採掘開始時期は、グアナファト銀山とほぼ同じころですが、最盛期は短く17世紀前半までです。

メキシコ(グアナファト)と日本(石見銀山)の銀の採掘時期の比較

スペイン

まず、当時のスペインの国内状況をもう少し詳しく見てみます。上表を参照ください。

16~17世紀は、スペイン帝国全盛期の時代で、メキシコもスペインの植民地でした。当時はハプスブルク家(スペイン/ハプスブルク家)が統治していました。

 

18世紀はスペイン継承戦争により、ブルボン家(フランス)がハプスブルク家からスペインの王冠を奪い取った時代です。だだ、メキシコが植民地であったことに変わりはありません。この時代の国王としては、ルイ14世太陽王)の血を引く、カルロス3、4世があげられます。ただ、この時代から国力は衰退していきます。

 

話は少し横にそれますが、ハプスブルク家といえば、いつも、下図左側の「軍服姿のフェリペ皇太子(後のフェリペ2世)」と、右側の「ラス・メニーナス」の絵画を思い出します。「ラス・メニーナス」の画面中央やや左奥の鏡の中にフェリペ4世と王妃マリアナが写っています。

 

JJとして、これらの作品の素晴らしさを上手く表現することはできませんが、いずれもくすんだ背景の中に、贅を尽くした甲冑や衣装が映えており、これらはメキシコから搾取した銀がもたらした贅沢品の一つと考えられます。

 

グラナファトの銀はどこへ運ばれ、何に使われたか

16~17世紀、採掘された銀は勿論スペイン本国へ運ばれていました。一方で、太平洋を渡って、フィリンピン(マニラ)まで運ばれ、中国との貿易に使用されていたようです。イメージ的に下図の通りです。

グアナファト銀山の銀の流れ

スペインに渡った銀は、ここで硬貨に鋳造され、当時は事実上の世界通貨として、ヨーロッパ、アジア等で流通していたとのこと。銀はスペイン王室の歳入の柱であり、軍備や戦費、また宮廷の豪華な生活や贅沢品にも使用されたようです。

 

更にスペインは、メキシコの太平洋側の都市(アカプルコ)から、フィリピンに銀を送り、ここで、中国商人が本土から持ってきた絹や陶磁器を買い付けていたようです。余談ですが、フィリピンも当時スペインの植民地であり、国名のフィリピンもスペイン国王「フェリペ」からきています。

 

18世紀にはいると、国王がハプスブルク家からブルボン家に変わりますが、銀の流れに大きな変化はなかったようです。ただ、ハプスブルク家が軍事費や贅沢品に使用したのに対し、ブルボン家は軍事基地の建設や植民地の都市整備・経済の活性化に使用したようです。それでも、周辺諸国に比べ国力は衰えていき、グアナファト鉱山の採掘量も減っていったようです。

グアナファトの聖堂(フェリペ2世が寄進した聖母マリア像を祀っている)

石見の銀はどこに運ばれ、何に使われたか

前掲の比較表を見て頂ければわかりやすいかと思いますが、16世紀後半は日本の戦国時代(安土桃山時代)で鉄砲の需要が非常に高く、長崎や平戸を通じて、日本とポルトガル、スペインの間で取引(銀での支払い)が行われていました。

 

また、特にポルトガル人は、中国で絹や陶磁器を仕入れ、これを日本に運び、銀と交換し、この銀で更に絹や陶磁器を購入するという三角貿易もしていたようで、これらは南蛮貿易と呼ばれています。この時代も石見銀山から採掘された銀が重宝されたようです。

 

17世紀に入っても南蛮貿易は続いていたようですが、とくに江戸幕府から与えられた朱印状を持った西国の大名や京都、堺、長崎などの商人が,東南アジアなどへ船を出して行った貿易の方が活発となり、これは朱印船貿易と呼ばれています。

 

この朱印船貿易における東南アジアの拠点の一つがベトナムホイアンです。この時の物の流れと銀の流れのイメージ図は下図の通りです。

石見銀山の銀の流れ

ベトナムホイアンには、JJも2024年に行き、過去に「ベトナムホイアン 日本人街から中国人街へ、そして今は韓国人街?」というタイトルで投稿しました。しかし、当時、日本人はどんな商売をしていたのかあまり考えていませんでしたが、改めて調べてみると、日本商人はホイアンで銀を使い、中国商人からは絹や陶器を購入し、西洋商人からは武器や火薬を購入して、日本に運んでいたようです。これで、石見銀山の採掘も最盛期に入ったようです。

 

しかし、その後、江戸幕府鎖国令により朱印船貿易も廃止され、また、銀鉱脈も徐々に枯渇し、石見銀山も衰退していったようです。

ベトナム ホイアンの夜景

二つの銀山の共鳴関係

メキシコの銀山と日本の銀山を概括してきました。

 

これら二つの銀山の最盛期は多少前後し、16世紀後半から17世紀前半は石見銀山が繁栄し、その後18世紀になるとグアナファトが世界の銀供給の中心地となっています。確かに時代は少しずれていますが、いずれも銀を通じて東西の経済がつながっていたという点では、非常に興味深い共鳴関係があります。まさにグローバル経済の原型ともいえるのではないでしょうか。

JJが最近訪問したメキシコとベトナムホイアン)が、こんなところでつながるとは考えてもいませんでしたが、旅により疑問が生じ、そこから歴史や地理を探ってみるとあらたな発見があるものです。ところで、日本では東京「銀座」が有名ですが、東京「金座」はどこにあったかご存じですか?

 

最後まで読んで頂きありがとうございます。

ではまた。

 

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