ベナレスはヒンズー教の最大の聖地です。2010年12月末、インド訪問3日目の早朝、この街を流れるガンジス川を訪れ、沐浴する人々や遺灰を川に流している光景を目のあたりにし、一時浮遊感に囚われた様な状態となりました。しかし、直ぐに寒さと火葬の臭いに耐えきれなくなり、早々にホテルに帰りました。

ところで、なぜベナレスがヒンズー教の聖地となったのでしょうか?訪問当時はそんなことも考えず、単にこの情景に驚愕し、火葬の臭いに少し嫌悪感を覚えただけでしたが、そもそもヒンズー教がよく判っておらず、ガンジス川がどこを流れているかも知らず、そんな中で、大変申し訳ない記憶だけが残ってしまいました。
以下は、ヒンズー教やガンジス川、更に聖地ベナレスに関して、この歳になって改めて調べてみた内容です。旅行記ではなく、調査記的な内容ですのでご了承下さい。
なお、この記事の最後に「スマホ画面」に関するお詫びの記事を載せていますので、よろしければご覧ください。
ヒンズー教
ヒンズー教の神様の数は3億3000万(3,300万という説もありますが)。日本の神様は8百万(やおよろず)ですので、約40倍の神様がいらっしゃいます。ただいずれも多神教です。キリスト教やイスラム教の様に唯一絶対の神を信仰する一神教ではありませんので、ヒンズー教は古くからある日本人の神様の考え方と似ています。

また、ヒンズー教では三神(ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァ)が「宇宙創造」に関わっています。一方、日本の神様(イザナギ、イザナミ)は、再度まぐわって「淡路島、四国・・・本州」と数えて八つ(大八島:オオヤシマ)をお造りになったとのこと。成されたスケールが違いますが、神様の数からしても仕方ない事かも知れません。
更に、ヒンズー教の特徴として、人には「魂(永久・不滅)」が存在し、それが「輪廻転生」を繰り返すという考え方があります。人はその無知や欲望によって、「魂」は輪廻のなかで苦しみ続けますが、解脱することで、永遠の平和を得ると信じられているのです。ヒンズー教の究極目標は、輪廻から抜け出し解脱することだそうです。
ヒンズー教は、この「魂が輪廻転生する」ということを大前提としてあり、
①ガンジス川での沐浴は過去の悪行を洗い流し、来世の境遇を改善するためであり
②更にここで遺灰を流せば輪廻の苦しみから解放されて天国に行くことができ、永遠の幸せを手に入れることができる(解脱できる)
と信じられているため、多くの巡礼者がここを訪れ、また死を待つ人も来られるとのこと。
沐浴やガンジス川での火葬の意味がなんとなく分かったような気になりましたが、それでもなぜガンジス川のベナレスという地なのかは今一つわかりません。
ガンジス川
下図はガンジス川とベナレス、その他の主要地域を抜き出した地図です。
まずは、ガンジス川について。

ガンジス川はヒマラヤ山脈を水源とし、インド、バングラデシュを流れ、ベンガル湾に注ぎます。このほぼ中央付近にベナレスがあり、この近くには、前日訪問した仏教遺跡サールナートがあります。サールナートは仏教の聖地の一つでした。また、この上流には、明日訪問予定のアグラ(タージマハル)があり、更にその上には、インドの首都(デリー)が位置しています。
こうしてみると、ガンジス川はインド北部を潤す大河であり、多くの人々の生活用水源となっていることが判ります。ただインドにとってガンジス川は単なる大河ではなく、ヒンズー教の女神、ガンガー(Ganga)の化身とされ、魂を浄化し罪を洗い流し、また遺灰を流すことで、死後に解脱できると川だと信じられています。

インドの精神性や文化を象徴する存在で、日本の富士山の様な感じでしょうか。富士山も麓に浅間(せんげん)神社が沢山ありますね。
聖地「ベナレス」
ガンジス川が聖なる大河であれば、沐浴や火葬をこの地でなく、ガンジス川に面した他の都市でも良いような気がしますが、それはまた違うようです。
宗教で「聖地」というと、キリスト教ではイエスの生涯にとって重要な出来事が発生した地(例えばエルサレム:磔刑・復活の地)、仏教でも釈迦の足跡を追ってその重要な地(例えば昨日の訪問地:サールナート)ですが、ヒンズー教の聖地は、そうではありません。
一神教でなく多神教であるという側面もあるかと思いますが、キリスト教や仏教のように教祖の生涯の出来事が聖地を決めるのではなく、ヒンズーでは「宇宙の構造」「神々の行為」「死後観」が聖地の根拠になっているのだそうです(JJにとっては、少し理解しにくいのですが)。
ベナレスがヒンズー教最大の聖地になった理由ですが、元々インド最古の都市であり、宗教・学問の中心だったようです。これにプラスして
①シヴァ神が創建した都市であり、世界が滅んでもベナレスだけは沈まない
②シヴァ神が常住し、死者に解脱を与えてくれる
③ガンジス川の中でも、ここが最も聖なる流れとなる(ここだけは、ガンジス川が南から北に向かって流れる。イメージ的には前回の記事中の「ベナレス拡大図」をご覧ください)
こうした神話的地位が、地理的、歴史的な価値とも重なり、ヒンズー教の最大の聖地となった所以の様です。

仏教との違い
インドで釈迦が唱えた仏教は、ヒンズー教の「魂」を否定すること(「魂」は存在しない=無我)から生まれたと言われています。「魂」があると考えること自体が苦しみ(執着)の原因になる、と釈迦が考えたからだそうです。仏教では「魂」でなく、「因果」の流れが続くという、輪廻観だそうです(哲学的で、JJはまた良く判りませんが・・・)。
しかし現在の日本ではどうでしょうか。家に仏壇を置いておられる方も、「魂」は存在すると考えておられる方が多いのではないかと思います。お盆や京都の送り火などの年中行事は、まさしく死んだ人の霊(魂)が、こちらへ帰ってこられ、またあの世に帰られる日ですし。
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インドのベナレスを旅していなかったら、また、あの強烈な沐浴や火葬の印象が残っていなかったら、多分、ヒンズーに感心を持つこともなかったと思います。当時はそんなことも何も知らず訪問しましたが、約15年以上経って、こうして思いを巡らすことが出来、ヒンズー教やガンジス川や聖地ベナレス、更に仏教との違いに関しても多少なりとも理解することが出来たのは(良く判らないことも、もちろんありますが)、やはり旅のおかげだとも思います。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
イスラム教と関りの深いタージマハルは次々回。
ではまた。
★★★★★ スマホ画面に関するお詫び
読者の方より、スマホでこのブログを見る場合、関連記事がどこにあるか判りにくいとの指摘がありました。
理由は、JJがブログのド素人で、このブログ全体がどんなカテゴリー区分となっているのか、スマホで観られるように設定していなかったからです(スミマセン)。
3月初めに、スマホ画面の一番下(関連記事や広告のもっと下)に、カテゴリー一覧(カテゴリー紹介)を表示するように設定しましたので、これを参照して頂ければと思います。
例えば、今日の記事のカテゴリーは、記事のタイトルの下に「旅の文化」と「南アジア-インド・スリランカ等」と表示がありますように、この2つのカテゴリー(ファイル)に入っていますので、どちらかを開いて(クリックして)頂ければ関連記事があります。
なお、ひとつの記事を2つのカテゴーに設定していますのは、一つは分野別(例えば、ホテル、食事、文化、トラブル等)で、他の一つは国別(例えば、東南アジア、中東、ヨーロッパ等)に、仕分けをしたかったからです。
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。