JJ(爺)の海外個人旅行記

英語力もスマホ術も不安な70歳超えの爺。それでも海外個人旅行は人生を楽しく、豊かにしてくれます。そんな実体験を綴っています。

ヨルダン:ペトラ遺跡 宝物殿や修道院はキリスト教と関係あるの?

ペトラ遺跡に関しては下図に示す一般的な観光ルート、シーク(岩の裂け目)、エル・ハズネ(宝物殿)、エド・ディル(修道院)を廻ったことを過去ブログにあげました。略図を再掲します。

ペトラ遺跡の略図

勿論、今まで見た事もない自然の造形や壮麗な建築物に感動しましたが、JJが特に感銘を受けたのは、全てが色褪せた褐色で染まった渓谷の雄大さ、荒々しさでした。

休息所から眺めた褐色の大地

キリスト教と関係ある遺跡なの?

ところで、エル・ハズネの呼称が「宝物殿」、更にエド・ディルは「修道院」となっており、また、映画『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』では、聖杯がエル・ハズネにあったとの話となっており、これらの遺跡はキリスト教と関係あるのかなあ~と、ぼんやりと思っていました。

 

しかし、一方で、この街は、紀元前2世紀頃に「隊商都市」として栄えたとのことで、当時の遺跡であれば、キリスト教は関係ないよね~とも思っており、あやふやなままやり過ごしていましたが、最近、改めて調べてみました。

 

ペトラ(遺跡)の時代変遷

そもそもペトラ(遺跡)の変遷の歴史は大略以下のようです。

 

○紀元前2世紀〜1世紀

この地を支配していたナバタイ王国(アラブ系遊牧民族)の最盛期。商業施設が整備され、都市機能が拡張。この時代に、エル・ハズネもエド・ディルも建設されたようです。

 

○ローマ支配期(2世紀)

都市構造がローマ風に再編され、浴場・劇場・列柱通りなどが追加建設。上図の「街の中心地」と示した辺りにローマ劇場や凱旋門などの遺跡が残っています。

ローマ劇場:写真では分かり難いかも知れませんが、遠くから見ると円形劇場となっています

東ローマ帝国支配期(紀元後3世紀以降~)

キリスト教化が進み、宗教施設が増加しますが、その後地震や海洋貿易の発展により、街は衰退します。

凱旋門とピンクの花を咲かせたシャクナゲ(?)

エル・ハズネもエド・ディルも紀元前の構築物ですので、キリスト教に関係していないのは確かです。また当時は「ナバタイ人」が住んでおり、彼らの宗教観は多神教で神像よりも「聖なる岩」を崇拝する傾向があったようです。これら二つの遺跡もこのような宗教観から建設されたのではないでしょうか。

宝物殿や修道院と呼ばれた理由は?

エル・ハズネとエド・ディルの呼称や建設時期等を整理したのが下表です。両遺跡の用途は、多少違うようですが、それでもエル・ハズネを「宝物殿」と、エド・ディルを「修道院」と呼ぶのは、少しおかしい気もします。更に調べると

 

・エル・ハズネを「宝物殿」呼ぶことに関しては、建物の最上部にある壺に略奪品(宝物)を隠したという伝説に由来するとのこと。

 

・一方エド・ディルに関して、「修道院」という呼称は後世のヨーロッパの探検家による命名だそうで、実際の用途とは関係なさそうです。巨大な建物と静寂な雰囲気が、キリスト教修道院を連想させたためとも考えられます。キリスト教の修道士が住んでいたと書いてあるNET情報や旅行案内書もありますが(確かに、ローマ支配期以降ではこの可能性はあるかも知れませんが)、JJはこの説は違うのではないかと改めて思いました(JJの過去ブログで「修道僧が住んでいたと言われている」と記述しましたが・・・・どうも間違いのようです。すみません)

 

映画や呼称に惑わされましたが、やはりこの遺跡は直接的にはキリスト教と関係なさそうです。当然といえば当然なのですが、調べてスッキリしました。

 

ただ「エル・ハズネ(宝物殿)」にインディ・ジョーンズで出てくる聖杯があったとしても、”昔、誰かがこの遺跡に隠した”とするストーリーであれば、それは変ではない話だとも思います。

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旅行記というより、なんだか趣味の調査記のような内容になってしまいました。現地での直接的な感動も素晴らしいのですが、JJ(爺)は、日々の時間は余っており、過去の疑問点を調べ直すことも、脳機能の活性化には良いのではないかと思っています。

お付き合い頂きありがとうございます。

 

次回は、インディ・ジョーンズの映画の方に焦点をあてて、ペトラ遺跡に関わる記事を書こうと思っています。

ではまた。

 

jj-travel.hateblo.jp