ペトラ遺跡は、ヨルダン南部の渓谷に位置し、紀元前2世紀頃に「隊商都市」として栄えたようです。隊商都市とは、ラクダなどに荷物を積んで移動する商人や巡礼者の集団が集まる中継地点として栄えた都市のこと。ただその後の大地震や海洋貿易の発展により都市は衰退し、7世紀以降はほぼ見捨てられた街となったようです。

ペトラ遺跡を拡大すると下図のようなイメージです。
一般的な観光ルートとしては、図面右側(東側)のゲートから入り、西に向かって進み、シーク(岩の裂目)を通って、エル・ハズネ(宝物殿)を眺め、昔の街の中心地を通り、休息所で休み、体力に自信がある人は約900段の階段を上り、エド・ディル(修道院)を観て、後はひたすら、元の道を帰るというルートになります。朝9時頃にゲートから入り、14~15時頃に帰ってきました。

2013年5月に行き、今までみた事もない自然の造形や壮麗な建築物に感動しましたが、JJが特に感銘を受けたのは、エド・ディル(修道院)登頂後に見た渓谷の雄大さ、荒々しさでした。が、まずは観光ルートに従って簡単な解説をしていきたいと思います。
シーク(岩の裂け目)

前日はゲート近くホテルに泊まり、当日朝9時頃入場しました。
シークは日本の神社の参道の様でもあり、隊商が都市の中心地に入るための主要なアクセス路だったようです。この岩の裂け目自体は、水の浸食と地殻運動によって形成されたとのこと。断崖の高さは約60〜100mですが道幅は狭く、人ひとりが通るのがやっとのところもあります。両側にはピンク色の岩肌が、何層にもなって続いています。
エル・ハズネ(宝物殿)
この細く暗い道の先、岩と岩の裂け目から徐々に姿を現す神殿のような建造物が「エル・ハズネ(宝物殿)」です。

映画『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』の舞台となったこの遺跡は、高さ約30m・間口約25mの大きさです。
ここからさらに奧へ進むと、昔の街の中心地となり、円形劇場をはじめとするローマ帝国時代の遺跡が現れます。それを抜けきったところに休息所があり、昼食もここで頂きました。
エド・ディル(修道院)

休息所で一旦休憩を取ったのち、約900段もの石段を上り詰め、その先にあるのが、エド・ディル(修道院)です。
山と一体となった荘厳な神殿の周囲には、修道僧が住んでいたと言われています。

エド・ディルを少し遠めに眺められる近くの丘に登り、周りを見渡します。そこに広がる景色は、岩山とそしてこの岩山が風化してできた砂の平地。更に遠くに見える岩の台地。
全てが、褐色のペンキが紫外線により分解し、劣化してしまった様な色合いで、木などほとんど生えていません。日本にいると、地表と言えば、木々で覆われた緑の大地を想像し、こんな風化した色合いを想像することができません。
下の写真は、この山に登るまでに歩いてきたペトラ遺跡の谷底と更にその先の台地です。この渓谷の色合い、雄大さ、荒々しさ。こんな情景をいままで見たことがありません。

エル・ハズネ(宝物殿)もエド・ディル(修道院)も素晴らしかったのですが、この渓谷の景色は、それ以上に今も頭に焼き付いています。皆さんも機会があれば是非、900段の階段を上ってこれを眺めて下さい。
帰路とその後

帰りは、ほぼ真上から太陽を浴びながら、ひたすら出口に向かって歩きます。二人とも無口となり、周りの風景等を楽しみもせずに、早足で歩きました。
ホテルに到着すると、靴もズボンも真っ白。プールに浸かり身体を冷やし、夕食後は、ホテル近くの屋外バーで一杯。乾燥した空気の中、ペトラの夜景も美しく、アルコールもゆっくりと喉の奥を潤してくれました。近くの壁にはサソリも這っていました。

疲れた一日でしたが、日本では見られない色褪せた褐色の渓谷は強烈でした。来た甲斐があった一日でした。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
ではまた。