(その4)は、滞在4日目~5日目の話です。
4日目はほぼ一日中、サンクトペテルブル周辺や市内観光をして、夕方に超特急(新幹線)サプサンに乗ってモスクワまで帰りました。
5日目は、午前中、デパートに買い物に出かけ、18時頃の便で帰国の途に就きました。
今回は、この二日間の内容を駆け足気味に書いています。
4日目午前:OPツアー「夏の宮殿観光」
昨日訪問したエルミタージュ美術館(宮殿)が「冬の宮殿」と呼ばれているのに対し、このペテルゴーフ離宮は「夏の宮殿」と呼ばれています。

サンクトペテルブルク中心部から約30km離れたフィンランド湾沿いにあり、実際にロシアの皇帝たちが夏を過ごすための「離宮」として使用していたようです。
日本の皇室の葉山御用邸のように季節ごとの滞在拠点としての性格を持っていたようですが「葉山は冬季の静養中心(私的)、ペテルゴーフは夏季の静養+外交舞台(私的+公的)」という点に違いがあります。ただここはやはりどちらかというと外交の舞台装置として建てられたのでないかと感じられました。

また、ここはベルサイユ宮殿を模倣して建てられ「ロシア版ベルサイユ」と呼ばれています。庭園面積や建物群の広がりはフランス本家には及びませんが、それでも海に向かって広がる解放感や噴水群はベルサイユ宮殿以上のものがあるように思われます。今回のロシア旅行で訪ねた観光地の中では最も奇麗で素晴らしいと思いました。
〇ロシアらしい昼食
昨日と本日の昼は、「ピロシキ」また「オクローシカ」という夏バテ防止にお勧めと言われている冷製スープ、更に「ボルシチ(冷製)」や「ペリメニ」というシベリア風水餃子を頂きました。サンクトペテルブルクのガイドさんは何かと気を遣って下さり、またこの2日間は、ロシアの代表的料理を頂き、心が少し安らぎました。ただ、これらを頂いたお店が、どんな雰囲気だったのか等、残念ながらほとんど記憶にありません。

4日目午後:フリー「運河観光船乗船」「ロシア美術館」
〇運河観光船乗船
サンクトペテルブルクは、もともと沼地で運河を掘りながら建設された都市。北のブェネチアとも呼ばれています。
当時、サンクトペテルブルクは暑くて暑くて、少し涼もうかと思い、午後からこの運河を走る観光船に乗ってみました(乗船場までガイドさんに連れて行ってもらい、そこで別れました)。ただ、結果的には涼むと言うより、寧ろベッタリとした暑さを感じるツアーとなってしまい、下船後、直ぐに涼しいと思われたロシア美術館に急ぎました。

〇ロシア美術館
ここにも素晴らしい絵画が沢山ありましたが、途中から雷雨を伴う大雨となり、蒸し暑さで疲れた体のクールダウンも兼ね、再度、気になった絵をみたり、ソファーに腰を下ろしたりして、1時間程度雨が上がるのを待ちました。
丁度、ロシアに来て初めて出会う日本人と思われる若人を見かけ、同様な感じでソファーに腰かけていましたので、話しかけるとロシア語専攻の学生さんでした。なんだか久しぶりにお互い日本語でペラペラしゃべり、楽しい雨宿りとなりました。

雨があがり、街を歩くと一時的に少し涼しくなったようでもありましたが、その後はまた蒸し暑くなり、夕食は寿司屋に入りました。ここでの夕食の記憶はあり、過去ブログに書いていますので、よろしければそちらをご覧ください。

その後、午後8時頃発の超特急サプサン乗車まで、クーラーの無い待合室で待ち続け、モスクワに帰り着いたのは夜の12時頃でした。
5日目午前:フリー「グム百貨店」
モスクワ最終日です。赤の広場に面して、グム百貨店という大きなデパートがあります。ここにお土産を買うために出かけました。


ロシアに漆器があるとは思ってもいませんでしたが、「ホフロマ塗り」としてロシアの民芸品としては非常に有名であることは、帰国後に知りました。黒地に鮮やかな赤や金で、イチゴやベリー、花、鳥などの自然のモチーフが描かれています。JJは今でも日本酒(冷酒)を頂くときに愛用しています。

5日目午後:モスクワから成田へ(帰国)
買い物を終え、一旦ホテルに戻り空港へ向かいました。こちらに来た時は、空港線から違う路線の地下鉄に乗り間違えるというトラブルがありましたが、帰る時は、地下鉄から空港線に乗り換えるだけなので、間違うこともないだろうと高を括っていました。しかしこの時もドタバタしました。この状況はまた別の機会に書こうと思います。
その後なんとか空港に着き、チェックインを終え、JALのラウンジでJAL機が見えた時は本当に「やっとこれで日本に帰れる!」と胸をなでおろしました。
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関連ブログでも書いていますが、兎に角、この時の旅は、ロシア語が分からず、スマホも持ち合わせていない個人旅行でしたので疲れました。
昼食はガイドさんに案内され、それなりのところでグルジア料理やロシア料理を食べましたが、夕食は、4日目の夜(寿司)を除き、どこで取ったのかも記憶に残っていません。
そんな状況でしたので、逆に15年経った今でも、頭の片隅にこびりついている印象深い内容だけは、浮かびあがらせることが出来たのかも知れません。
ただ、一方で、最近のロシアという国から思い浮かぶ暗い言葉(戦争・独裁国家・侵略等)は、赤の広場や国立歴史博物館の一部と結び付けられた程度で、当時のアルバムを開いてもそれほど連想することは出来ませんでした。
今回は、長きにわたり(その1)~(その4)まで、付き合いいただきありがとうございました。
ではまた。