JJ(爺)の海外個人旅行記

英語力もスマホ術も不安な70歳超えの爺。それでも海外個人旅行は人生を楽しく、豊かにしてくれます。そんな実体験を綴っています。

メキシコ:コロニアル都市(グアナファト・ケレタロ)と銀の道(その2)

(その1)では、メキシコシティからサンミゲル・デ・アジェンデ、更にグアナファトまでの道のりについて書いてきました。(その2)は、これ以降の話です。

 

グアナファト

銀山の街として発展したグアナファト

グアナファトは、周囲を山に囲まれた標高約2,000m(メキシコシティは約2,200m)に位置し、街の中心地(下記の地図で示した地域)は、ほぼ500m×500m程度の広さです。

 

16世紀半ばに銀鉱脈が発見されたことから、銀山の街として発展しました。しかし、18世紀には銀山の枯渇等で街は衰退に向かいます。その後、歴史的な建造物や景観が、再評価され1988年に世界遺産に登録され、観光都市として脚光を浴びています。

 

現在はグアナファト大学を中心に、文化的なイベントや芸術活動が盛んに行われているようです。日本からのスペイン語習得のための語学留学も多く、また、毎年開催される「グアナファト映画祭」は、ここ「グアナファト」と、(その1)で書いた「サン・ミゲル・デ・アジェンデ」の2都市で開催されている様です。

 

ホテルは地図右下のファレス劇場に近い「HOTEL SAN DIEGO」です。JJ達は、午後3時頃に、ホテルから少し離れた場所で、メキシコシティからここまで案内して下さいましたRさんから日本人のAさんに引き渡された(?)後、まずチェックインして、徒歩で市内観光を始めました。

グアナファトの観光スポットと宿泊先のホテル

観光ルートは、ホテルからスタートとして、反時計回りに、ファレス劇場→グアナファト大学→(YOSHIKIがピアノ演奏した)アロンディカ・デ・グラナディーダス広場→イダルゴ市場→ケーブルカーに乗ってピピラの丘という順でした。

 

その後、近場のお薦めレストラン(VAN GOGH RESTAURANT)を紹介してもらい、夕食を取りました。また、次の日の朝食は、ホテル近くのスタバで済ませました(地図上で青い●(丸)で示した場所にあります)。

 

各観光名所の情報は、ネット等に沢山出ていますので、そちらを見て頂けたらと思いますが、当方として想い出深い点は以下です。

アロンディガ博物館前の広場(地図左上)

この博物館に入った訳でもなく、ガイドブックにもそんなに詳しい説明が有る訳ではありませんが、Aさんから「ここ(アロンディガ博物館前の広場)で、数年前の国際映画祭の時にYOSHIKIがピアノを弾いたのよ」とやや感動気味に話されました。

 

「ああそうなんですか。こんなところまで招待されて来られているんですね。ところでYOSHIKIさん、今年は自分のクリスタルピアノをオークションで売られて、能登半島地震で被災した方々へ寄付させたようですよ」と言うと、「能登半島地震とは何ですか?」との問い。

 

「えっ こちらには伝わっていませんか?」という事で、状況を説明しました。東日本大震災のことは勿論知っておられましたが、能登半島地震の事は初めて聞いたとの事。

 

世界中で色々な災害や紛争が多発している中で、海外ではこの情報が流れていないのかも知れません。仮にテレビ等で放映されたとしても、単発的にさらっと流れただけで埋もれてしまったのかもしれません。日本人の方であれば一度耳に入れば「それは聞きました」程度の返事があっても良いのでは?と思いました。YOSHIKIさんの話で、この広場でそんなことを考えてしまいました。

YOSHIKIさんのピアノコンサートがあった広場

ピピラの丘

この丘から見える夜景が素晴らしいと言われています。確かに、大都会や港街に多く見られる夜景と違い、ネオンサインが「ほぼ無し」という状況で、家の明かりや外灯の光がみえるだけで、日中の外壁のカラフルさに比べ、非常にシンブルで清楚で優しい感じがしました。この昼夜の対比がまた良いのかも知れません。

ピピラの丘からの夜景(ネオンサインが無い)

坑道と公道

市街地には、昔銀採掘の坑道としてつくられた道が現在は公道(地下道)となっており、車も通り人も歩けます。地上の歴史的街並みを保存しつつ、車両の通行を地下に分散させるという独特の都市構造です。これらの特異性も含めて世界遺産に登録されたのではないでしょうか。

昔の銀の坑道 今は公道

ただ、なぜこれほど浅いところに坑道(地下道)があるのか少し疑問に思い、調べてみましたら、このあたりは坑道の出口が設けられた場所だということが分かりました。

 

鉱石の搬出には効率が求められたため、谷底や街の中心部に近い場所に出口、あるいは鉱石搬出用通路が設けられました。現在の地下道が浅く感じられるのは、まさにその出口付近の様です。イメージ的には下図のような感じです。銀鉱山としての遺跡がリアルに分かりました。

なぜ浅いところに坑道(地下道)があるのか

ケレタロ

次の日は「ケレタロ」という街に立ち寄りました。昨日の「サンミゲル・デ・アジェンデ」「グアナファト」と同様に、スペインの植民地時代に形成されたコロニアル都市です。

 

やはり、16世紀に銀鉱脈が発見され銀の産出によって発展しました。特に、1726年に完成したケレタロ水道橋は、銀山の開発に必要な水を供給するために建設されたようです。

 

今は日本の自動車メーカーや部品メーカーが数多く進出し、ここで生産した車をアメリカに輸出しており、工業都市として発展しています。

ケレタロの水道橋

銀はどこへ

さて、今回のメキシコ中央高原を廻り、気になったのは、いずれもスペインの植民地時代に銀の採掘や輸送基地として発展してきたという事でした。

 

しかし、当時採掘された銀をスペイン人はどこに運び、なにに使用したのでしょうか。日本にも「石見銀山」が世界遺産に登録されていますが、採掘の時期等は同じなのでしょうか? また、これもどこに運ばれ、なんの目的で使用されたのでしょうか? そんなことが気になりだして、「銀の道」を少し探ってみたくなりました。

 

最後まで読んで頂きありがとうございます。

「銀の道」の話は別途整理して、ブログに挙げたいと思います。

ではまた。